材木屋の三代目として

こんにちは。代表の瀧島です。

のんびりと書き始めたこのブログで、私は自分の想いを中心に書いていきたいと思います。


滝島商店という会社はもともと材木屋でした。

私はその材木屋の三代目。

子供のころから自宅と地続きにあった会社の敷地では、大工さんが材木を加工したりしていて、気の匂いに包まれて育ちました。


小学校の5、6年生くらいになると材木をトラックの荷台から押したりして仕事の手伝いをしたもんです。


でもね、大きくなったら材木屋って思ったことほとんどありませんでした。

”結局材木屋を継ぐんだろうなぁ”

くらいの漠然としたことを考えた時期はありましたけど。


だからね、大学を卒業した時には材木屋になりたくなくて都内の印刷会社に就職しました。当時はこの印刷会社は小さな会社でしたけど、この前ホームページ見たらウン百人の従業員がいる会社に急成長してました。


それが紆余曲折あって結局材木屋を継ぐことに。。。


なんとなくなし崩し的に始めた材木屋という仕事をする中で、結構早い時期から思っていたことが一つだけあるんです。


それは”東京の山に恩返しをしたい”ということ。


じいさんが材木屋を始めてから、瀧島家は東京の山に食べさせてもらいました。時代が移り変わり、輸入材が隆盛になったとはいえ、東京の山の恵みのおかげで飯を食わせてもらってきたことには違いありません。


ただ、材木屋という仕事をしていたころはその思いとは裏腹に、売れるものを売るという商売の鉄則に負けてしまい、東京の木をみんなに買っていただく活動は全くできませんでした。


それが今、一般のお客様のお家を工事させてもらう仕事に転じてから、東京の山や、東京の木に触れてもらう活動を少しずつですが事業の中に組み込むことが出来るようになってきました。


カバー写真は東京の木を使って、地元羽村市の保育園さんで行った木工教室の時の東京の木を触っている子供たちの手です。


材木屋の三代目が材木屋をやめてから取り組み始めた、東京の山への恩返し。

これだけは今後もずっと続けていきたいと思います。


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